考えていること:分からないことを分からないまま受け入れてみる

分からないことを分からないまま受け入れてみる はじめに この世界にはよく分からないものたちが溢れていますが、 人というのは何でもかんでも答えを見つけたくなってしまう生き物で、 そのよく分からないものたちも例外なく理解しようとしてしまいます。 もちろん理解しようとする試みは重要です。 しかし、そのためには大変な努力を要することも多く、 手当たり次第にあらゆる事柄を理解の対象にしようとすると、 時間と体力がいくらあっても足りなくなります。 また、そもそも理解できないもの、理解しなくてよいものも存在します。 人間には難しすぎるもの、 あなたにとっては相容れない考えなどがそういったものです。 そこで今回は、 「よく分からないけどひとまずそのまま受け入れてみよう」という話をします。 理解することを放棄する、 理解することを保留する、 理解していないけど自分なりの答えを雑に決めておくなど、 そのくらいの話です。 背景 義務教育の負の側面かもしれませんが、 すべての問いには必ず答えがあって、 その答えだけが正しくてそれ以外は間違っていると感じることがあります(私の場合ですが)。 学校で学ぶ知識は重要なものが多いです。 生きていく上で役に立つものでもあり、 人間の思考を支えてくれる礎でもあります。 学校の授業はなくてはならないものだと私は思います。 そのような教育のための重要な組織である学校では、 良くも悪くも生徒を評価しなくてはいけないため、 試験を実施して点数をつけています。 ただし、試験を作成して点数をつけるという作業はとても大変で、 一人の先生ができることには限りがあるため、 工夫が必要です。 たとえば、一つの問題に対して一つの答えを用意して、 正誤判定を簡単に実施できるようにします。 これが一般的な学校の試験だと思います。 さらなる効率化を目指した選択問題形式、 正誤判定を自動化するためのマークシート試験のようなものもあります。 教育を成立させるために辿り着いたこのような試験が、 多大なるメリットの裏側で、 「あらゆる問いには必ず答えがある」という完璧主義的な考えを無意識下に植え付けてしまっているのではないかと私は思っています。 分からないことは良くないのか 先ほどの背景の話に従うと、 「あらゆる問いには必ず答えがあるのだから、その答えが分からないことは良くないことだ」と思ってしまう可能性があります。 それは、答えが分からないということは点数が取れないということであり、 点数が取れている他の人よりも自分は劣っているということになるためです。 これはあくまで「試験の点数」という評価軸において上か下かというだけの話なのですが、 物心ついた小さな子供の頃から学校という環境に身を置いている場合、 それがこの世界を覆う絶対的で普遍的な指標のように思えてしまいます。 つまり、実際には、分からないことが良くないのかは条件次第なところがあるはずですが、 無意識的に「良くないこと」と思ってしまうという前提があるように思います。 分からないことを分からないまま受け入れてみる ということでいきなりですが、 「分からないことは良くないこと」という考えは 「教育を受ける時はそうだった」という過去の話にして (あるいは「勝手に良くないことだと思い込んでいたけどそれは違った」とかでもよいです)、 「分からないことを分からないまま受け入れてもいいよね」という考えへ移行してみようと思います。 分かりやすい例は「芸術」です。 芸術作品は理解できるものもあれば、 よく分からないものも多いです。 詳しい人に説明してもらって理解できることもあれば、 説明自体が何を言っているのか全く分からないこともあります。 ここで重要なことは、 仮に芸術が分からなかったとしても特に困らないということです。 今回は教育を受けているわけではないので試験の点数の評価軸もなく、 芸術を分かっている人が分かっていない人よりも優れているという道理も存在しません。 学校の美術の時間で「芸術作品のタイトルが分からなくて試験の点数が取れなかった」となれば話は変わります。 また、芸術に関係する仕事をしていて他の人と比較される立場にあるというのもまた話が違います。 あなたが芸術に関して教育を受けているわけでもなく、 芸術の仕事をしているわけでもないのであれば、 あなたが芸術を理解しても、あるいはしなくても、何一つ困りはしないのです。 ...

作成日: 2026年10月15日 · Yusuke Kato

考えていること:情報収集のバランスを取る

情報収集のバランスを取る 前回に引き続きバランスを取る話を書きます。 今回は情報収集のバランスについてです。 ありきたりな話が続きますがご容赦ください。 前回記事↓ 考えていること:何事もバランスを取る 情報収集 バランスを取ることが特に重要な事柄として情報があります。 インターネットが普及した現在では何もしなくても世界中から情報が集まってきます。 情報がたくさん溢れているからといって情報収集が簡単かというとそんなことはなく、 自分が欲しい情報を選り分ける必要が出てきます。 おそらく自分にとって不要な情報のほうがはるかに多くて、 それらの情報をいかに捨てていくかが重要になります。 この情報の取捨選択においてもバランスを取りたいというのが今回の話です。 情報の偏り 自分の考えは自分が触れる情報の影響を強く受けると思います。 つまり、偏った情報に触れ続けると考えもどんどん偏っていく可能性があります。 考えが偏ることが良いのか悪いのかは場合によると思いますが、 個人的には考えもバランスを取りたいと思っています。 情報の偏りには主に、得られる情報のジャンルの偏りと情報収集の経路の偏りがあります。 情報のジャンルというのは、たとえばスポーツが好きだからスポーツのニュースだけずっと見てしまうとか、 仕事に関わることは積極的に調べるが最近のエンタメの流行には無頓着みたいなことを指しています。 ジャンルについては人の好みによるところが多く、 また、もしジャンルが偏ったとしても気がつきやすいので、 そこまで問題にはならないかと思います。 今回気にしたいのは情報収集の経路の偏りです。 たとえばSNSアプリでしか世間の情報に触れないとか、 インターネットは使わずに人との会話でしか新しい情報が入ってこないとか、 一つの(あるいは少ない)情報源に制限されてしまうような状況に陥ってしまうと得られる情報が偏って、 結果として考えの偏りに繋がってしまうのではないかと思います。 情報源の偏り:SNSの例 たとえば、SNSはリアルタイムに世界中の情報にアクセスできる特徴があります。 いま発生している出来事や他人の考えをすぐさま手に入れられることは大きなメリットです。 ただし、嘘の情報が混じっていることがあったり(根拠を示せませんが)、 触れなくてよい情報に触れてしまったりなどのデメリットもあります。 また、SNSにはユーザの興味関心や反応をもとに、 そのユーザが興味を持ちそうな情報を表示する仕組みもあります。 たとえばXの公式説明では、 興味関心やフォロー、 いいねなどをもとにおすすめを表示するとされています。 この場合、無意識のうちに考えの偏りがどんどん強まってしまう可能性があります。 こういう書き方をすると「SNSが悪い」という話になってしまいそうですが、 先ほど書いた通り、SNSにも大きなメリットがあって有用な場面も多いです。 ただし、SNSだけに頼ることでSNSのデメリットの影響を強く受けてしまう可能性には気をつける必要があります。 情報源の偏り:それ以外の例 このような情報源の偏りはSNSに限りません。 たとえば、他人と会話することが一般に良いこととされています。 「いろんな人とたくさん話したほうがいいよ」と私もよく言われます。 それはもちろんある程度正しいと思いますが、 他人と会話することだけを情報源とするのは偏りが大きいと言えます。 会話の中で得られる情報の量や質には限りがあり、 そもそも誰と会話するかによって得られる情報も変わります。 会話相手に偏りがあれば(常に同じような人としか会話しないなど)、 当然ながら得られる情報も偏ります。 また、人間は間違えるものなので嘘をつくつもりはなくても、 結果として間違った情報を伝えてしまうこともあります。 つまり、いろいろな人とたくさん会話しても十分な情報が得られるとは限らないということです。 他に情報源の代表として書籍があります。 書籍は基本的に情報の量も質もあるので情報源としてかなり有用です。 たとえば、ある分野の知識を得たい時、入門書などを1冊読み通すと比較的効率よく体系的な知識を学ぶことができます。 ただしやはりデメリットは存在していて、 最も大きいデメリットはリアルタイム性がないということだと思います。 書籍は執筆に時間がかかるため、 最新の情報が反映されていないことがあり、 成長が早い分野だと書籍だけでは情報収集が間に合わない可能性が出てきます。 これらの情報源以外にもニュースサイトやブログ、 新聞、ラジオ、最近だと生成AIなど、情報収集の経路は多々あります。 しかし、どの情報源にもメリットとデメリットがあって、 やはり一つだけに頼ると得られる情報は偏っていく可能性があります。 ...

作成日: 2026年9月21日 · Yusuke Kato

考えていること:何事もバランスを取る

何事もバランスを取る 今回は生活の中でバランスを取ることが重要ではないかということについて書きます。 時間の使い方のバランスを取る 生活している中でバランスを取ることの重要性をよく感じます。 それはたとえば時間の使い方についてです。 休みの日、一日中ゲームを遊んでしまって「もっと他のこともやればよかった」と思ったり、 家の掃除を始めたら興が乗って長時間続けてしまって「他にもやることあったのに」と思ったりします。 やりたいこと、やったほうがよいことなどがたくさんあるはずのに、 結局はいつも同じことばかりしていて「こんなはずではなかった」と思ってしまいます。 私は時間の使い方のバランスを取りたいと常々思っています。 時間を使う事柄をいくつか候補としてあげて、 それらにバランスよく時間を配分したいです。 理由の説明は難しいのですが、 何か一つに集中することと同じくらい、 いろいろな事柄に触れる機会を作ることも重要だと考えています。 優先度とバランス ただし、バランスを取るというのは優先度の話とは分けて考える必要があります。 優先度の高いタスクはすぐに片付ける必要があるため、 バランスを取る対象ではなく、 期限を設けて迅速に対応すべきです。 バランスを取るべき事柄は優先度があまり高くない家事や趣味、勉強などです。 つまり「今日やってもいいし、やらなくてもいい」タスクのことです。 これらのタスクはちゃんと管理していないと自分が好きなことから始めてしまうため、 自分の気分や興味次第で進み方に偏りが出ます。 「バランス」の対極にあるこの「偏り」をできる限りなくしたいという話です。 偏りをなくしたい 時間の使い方だけではなく、 日々の考え方や行動など、 生活の中の様々な事柄において偏りは発生します。 もちろん、自分の中にある強い信念に従うことや、 尊敬する恩人に傾倒すること、 好きな作品に毎晩浸り続けることなど、 あらゆる偏りに良いも悪いも基本的にはありません。 ただし、「いま自分が偏っているのかどうか」は常に意識する必要があるのではないかと思っています。 そして必要があれば「偏りを解消するためにバランスを取る」という選択がいつでも取れる状態が望ましいと思います。 偏ることが悪いとは言えませんが、 偏るしかない状況は悪いと言えます。 つまり選択肢が限られてしまっている状況です。 よりよい選択を掴み取るために、 バランスを取って偏りを解消する必要が時にはあると思っています。 まとめ 「バランスを取る」とは「偏りをなくす」ことであり、 「バランスを取ることで選択肢を増やせるのではないか」と考えています。 まとめるとそういう話でした。 追記 日々いろいろ考えているので、改めて考えたことも追記していきます。 情報収集のバランス バランスを取ることが特に重要な事柄として情報収集があります。 インターネットが普及した現在では世界中に情報が溢れていて、 何もしなくても勝手に情報が集まってきます。 自分の考えは自分が触れる情報の影響を強く受けると思うので、 偏った情報に触れ続けると考えもどんどん偏っていく可能性があります。 情報の偏りには、情報のジャンルと情報の入手経路があるかと思います。 情報のジャンルというのは、たとえばスポーツが好きだからスポーツのニュースだけずっと見てしまうとか、 仕事に関わることは積極的に調べるが最近のエンタメの流行には無頓着とかそういう話です。 ジャンルについては好みによるところが多く、 また偏っていることに気がつきやすいので、 そこまで問題にはならないかと思います。 注意したいのは情報の入手経路の偏りです。 たとえばスマホのSNSアプリでしか世間の情報に触れないというのはかなりの偏りだと思いますが、 現代の生活ではそうなってしまうことも多いかと思います。 ただし、SNSが良いとか悪いという話ではありません。 SNSに偏るのが良くないのではないかという話です。 サムネ作成 シェル芸オンラインジャッジ で作成 textimg $'考えていること:\n何事もバランスを取る' -F50 | convert -size 800x400 xc:#000000 - -gravity center -composite media/output.jpg

作成日: 2026年9月1日 · 最終更新日: 2026年9月17日 · Yusuke Kato